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88件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-02-14 第201回国会 参議院 本会議 第5号

前年の平成六年に自社さ政権として与党に返り咲いてはいましたが、当時の河野総裁は、与党第一党の党首ながら総理ではなく、社会党村山総理を支える立場でありました。  山口県選挙区では、六年前の参議院選挙で当選された社会党現職がおられましたが、与党現職がいるとはいえ自民党の候補を立てないわけにはいかないということで、白羽の矢を立てていただいたのが当時まだ留学中でありました私でございました。

林芳正

2016-02-04 第190回国会 衆議院 予算委員会 第7号

そういうことと、また選挙制度で中選挙区から小選挙区に戻す、そのときに当時の総理総裁と一緒になって、細川総理そして河野総裁合意して小選挙区を決めたときに、資金管理団体だけ五十万円だけにする、こう決めました。  ところが、五十万円に決めたのは五年間で、その後、企業・団体献金の見直しと言いました。それで見直したんです。

村岡敏英

2015-03-04 第189回国会 参議院 憲法審査会 第2号

このときの報告書には、民意反映民意集約という言葉を当時、自民党河野総裁、日本新党細川首相の両方の合意文書、一九九四年の一月の文書に出てまいります。この民意反映民意集約というのは非常にタクティカルな言葉で、民意反映選挙の原則なのに、民意集約するんだと、小選挙制は民意集約にいいんだと、こういう議論でした。  

水島朝穂

2012-03-01 第180回国会 衆議院 予算委員会 第19号

そして、残念なことに、それこそ私は残念なことに、当時、土井議長あっせんで、細川総理自民党河野総裁の間でいわゆる総理総裁協議といいますか合意というのが行われて、一夜にして国会の正式の結論をひっくり返し、今の制度を誕生させました。そもそも制度誕生自身に大きな問題があったということは言わなければなりません。しかし、そのことを経て、今のお二人が失敗だと反省していることが重要だと思います。  

穀田恵二

2011-12-05 第179回国会 衆議院 予算委員会 第7号

○佐々木(憲)委員 これは、当時、細川総理自民党河野総裁合意した内容なんです。税金を受け取るというわけですから、ちょっと後ろめたさがあったんだと思うんですが、それで最大限四割ぐらいにしておこうや、こういう合意をしたわけですね。その後の協議で、法律では、三分の二を上限とする、こういうふうに一度書き込まれたんです。ところが、制度が導入された九五年十二月にはこの歯どめさえ外れてしまったんですね。

佐々木憲昭

2009-02-27 第171回国会 衆議院 予算委員会 第22号

麻生内閣総理大臣 おっしゃっている意味は、二大政党下における政権交代というのがあり得べしということで、小選挙区制がいいということで、当時さんざん議論をした結果、たしか細川内閣、我々はたしか河野総裁のもとで、雪の降る一月の十何日に、午前何時でしたかサインをして、結果的に小選挙区になった。

麻生太郎

2009-01-27 第171回国会 両院 平成二十年度一般会計補正予算(第2号)外一件両院協議会 第2号

そのときに河野総裁細川総理会談へ持っていったんですよ。  我々、微妙なところまでやって、この部分だけ党首会談やらそうって言うたら、うちの党首だってわがままだけど、協議会が決めたらそんなもん一発でやるよ。だから、いろいろ知恵はあるわけよ。それは、協議会議論をして終わるというんでなしに、今私、もろもろのこと申し上げました。緊急性も分かっている。給付金の問題もある。

石井一

2007-06-12 第166回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第8号

しかも、その後にも、法案が成立した後も、施行前のさらなる修正があって、総総合意ですよね、与野党が真摯な議論政治改革協議会を経て行って、最後は、細川総理と当時の河野総裁の間でサインを交わして、お互いが最後に万年筆を交換したという大変感動的な場面がありました。  私は、政治改革というのはかくあるべきだと思います。

野田佳彦

2005-03-09 第162回国会 参議院 憲法調査会 第5号

で、このとき実は、両院協議会でもまとまらなかったんでありますが、両議長さんのあっせん等もありまして、当時の総理大臣細川総理自民党総裁河野総裁が話合いをされまして、衆議院参議院提案をした内容とは異なる形で案を再度おつくりになって両院提案をして今の法案が成立したと、こういう経過もございます。  

直嶋正行

2004-04-14 第159回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第2号

ところが、結局は、時の細川総理と、野党第一党だったわけですが、自民党河野総裁とが話し合って、三分の二条項を使わないで決めちゃったんですね。形式的にしか使わなかったと言った方が正しいかもしれませんが、あれはもう参議院からするともっと怒ってよかったと思いますよ。  そういうことを見てきまして、結局は参議院選挙制度をどうするかというところに行ってしまうんじゃないか。

田英夫

2004-02-24 第159回国会 衆議院 総務委員会 第3号

これには経過があって、例の細川連立政権のときの細川大臣と当時自民党河野総裁合意の中で選挙制度が変えられたんですけれども、このときにも、初めは記号式にするという合意の原案が、直前になって、いろいろあって、自書式のままで削除されたというふうに、日本文化論まで言われる方も含めていろいろ議論があるのは承知をしているんですが、やはりいろいろやっていくと、投票率は上がるし、無効は少なくなるし、開票は簡単になるしということで

川端達夫

2002-07-05 第154回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第9号

○若松副大臣 ちょっと記憶が間違っていればお許しいただきたいんですが、平成六年ごろでしょうか、ちょうど、いわゆる現在の小選挙比例並立制ですね、この合意に、たしか細川総理と、あと河野総裁ですかの大変歴史的な署名がありました。いわゆる議論議論を尽くして、大変な大もめの中で、最終的にそういう形の合意を得て、今回の現在の選挙制度に至っている。  

若松謙維

2002-04-11 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第3号

私は、そのころテレビで、非常に悲痛な顔をして、河野洋平それから細川護煕三者で会っていらっしゃる姿を見たんですが、土井議長提案を受けて、同日の夜、細川首相河野総裁との会談が開かれたが、両者の合意内容土井議長あっせん案とは全く異なり、大幅に自由民主党に譲歩したものであった。  これは、二回戻しているんですね。

中山正暉

2001-05-14 第151回国会 衆議院 予算委員会 第16号

岡田委員 例えば一九九四年に、これは自民党野党時代河野総裁時代でありますが、派閥を解消するということを党議決定していることがあります。ですから、過去にはそういうこともあった。  それでは、あなたがそれだけ、派閥政治日本政治をゆがめている、あるいは自民党政治をゆがめているとおっしゃるんなら、どうして同じことが今決められないのか。

岡田克也

2000-05-29 第147回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第2号

その当時のことは忘れもしませんけれども、二月十何日だったかと思うんですが、雪が降りしきる真夜中に、当時の細川総理河野総裁が調印をして修正してやっと衆議院参議院で成立した、そういうふうに記憶いたしております。  あれから既にもう六年ぐらいたちます。衆議院においては、平成八年に既に新しい選挙制度選挙が実施されました。聞くところによりますと、来月、二回目の選挙が行われるだろうと。

柳田稔

2000-04-21 第147回国会 衆議院 外務委員会 第6号

かつて自由民主党野党で苦しかったとき、今日の総理大臣森幹事長、そして時の総裁河野総裁でした。だから、私は、今、ぜひこのコンビで内政も外交も、二十一世紀に向かって我が国がどのように世界に向けてアナウンスできるか、そして日本の国民の皆さんがどれだけ勇気を出して——戦後五十年間、私たちは世界一のトランジスタ製品をつくり、今日なお世界一のエンジンをつくってきました。

伊藤公介

1999-12-14 第146回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第3号

平沼議員 たしか一連のいろいろな問題がありまして、そういう意味で、当時の細川さんと我が党の河野総裁がそういう文章を書きました。そういう中で、我々はその精神は謙虚に受けとめなければならないと思っておりますし、また、我々としてはそれなりに一生懸命努力をしてきたところであります。

平沼赳夫